


・おおいに愉快に熱中
夫と作った読書管理アプリのこと。何がどれくらい欲しいかを定義しないと、うちのエンジニアはこうやって勝手に楽しく遠くに行ってしまう。設計と実装ができる人のほうがえらそうに見えるけれど、違うんですよ、企画や制御も大変なんです。だから対等です。ちなみに、下記の動画を彼も観ていて、実際のお芝居にもいっしょに行ったことがあります。だからふたりで即興芝居のように生活している感じがあります。頭の回転が速いので、鍛えられる。
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この前クラフトビールをいっしょに飲んだ大学3年生に、「就活どうしたらいいかわかんないんです」と相談されました。
私は奨学金を返したくて手当たり次第に就活しました。たくさんお祈りメールをもらったけれど、リーマンショック後だったので私も先方のご多幸をお祈り申し上げ、感傷に浸る暇なく次に行きました。入社し、経験を積み、転職し、休み、独立し、今は完全にレールから逸れています。どう返していいかわからなかったので、そこにいっしょにとどまることにしました。さて。
しばらくして、同級生の友人に勧めた即興芝居の動画(と編集に関わった記事)を彼女にも送りました。台本なしの即興芝居。やり方はいろいろあり、この動画のものは、落ちている紙を拾って、そこに書かれた言葉を芝居に入れ込むものです。
動画を見て「おもしろい!」と思ったのは、「失敗っぽいものが失敗になっていないこと」です。ある言い間違いが拾われてネタになっている。Papersというルールの中、シーンに合わないセリフでもなんとかつなげて話を進めている。台本通りスムーズに進めることは目指していない。演者も観客も、誰も先行きを知らない中で一瞬一瞬シーンを作り続けていく。演じている人たちの、素で自由な感じに惹かれました。
そのあと、インプロの本『自由になるのは大変なのだ』を読み(タイトルがよい)、「表現」というキーワードが自分の中で広がり、魅力的に見えてきました。考える前にまず感じること。自分の感情を外へ向けて表現すること。人の表現を感じとること。それに応えること。これまで「いかに正しく」「いかにより(客観的に)よく」を目指し続けてきた僕にとって、新しい視点でした。
本を読んでから、日常が少し変わりました。人と話す時、「これは2人で一緒に作り上げる即興の場だ!」と思うと楽しく話せるようになりました。
即興芝居の演者になるのは怖いです。たとえばエンディングだけが決まっているお題、演者がふたり、小道具なし、の場合。まずどちらから始めるか。片方が何かを熱心に磨く動作を始めるとします。もうひとりはそれに対して、無視したり、「は?」とか言って舞台進行の責任を相手に押し付けたりしてはいけません。「Yes, and...」というルールにもとづき、基本的には目の前の相手の演技を肯定し、そのうえで何かを自分で重ねる必要があります。たとえば「うっわあ!!!綺麗な卵だね!!」みたいな感じで。卵を磨いて何が始まるのかは、演者も観客もわかりません。でもおたがいを信頼し、瞬間瞬間のシーンをいっしょに作り、エンディングまで併走しようと努めます。そこにある、今ここで、私は生きてるんだな、この人は生きてるんだな、という感覚。生まれたての言葉でキャッチボールする感覚。
なんか、こういうふうに感受したり表現したりしながら生きたくて、その中に仕事があるよ、と話しました。夫との生活も、あなたとこうやって会話してるときも、黙ってるときも、こんなふうに思ってる。あなたはどう思う?

